sumiikasumiの日記

とりあえず始めたところです

梟通信~ツインピークス・衝撃の最終話と、涼宮ハルヒ・エンドレスエイトと第3期の予兆

まったりと参りましょう、

エンドレスエイト(↓)に脱落の懸念があったが、

http://nlab.itmedia.co.jp/nl/spv/1706/23/news136_0.html
(ねとらぼ、「今度こそ脱落せずに見終えられるか? NHKで放送中の「涼宮ハルヒの憂鬱」が6月23日夜から「エンドレスエイト」突入」、2017/06/23)

夏が過ぎて最も脱落が懸念されていたNHKが(↓)、

http://www6.nhk.or.jp/anime/program/detail.html?i=haruhi
(NHK、アニメワールド/涼宮ハルヒの憂鬱、放送予定)

脱落していないようで、

ホッと(*´∇`*)

・・・

IGNによるツインピークス The returnの解説は、第5話を最期に沈黙してしまっているが、

同じくINGによるこちらの報道は(↓)、

http://jp.ign.com/m/music/16796/news/sos11
(ING、「涼宮ハルヒの憂鬱SOS団が11年ぶりにアニサマ登場」、2017/08/26)

NHKの再放送続行と共に、第3期の制作を予感させて、

心強い(*´∇`*)

既報のように、ツインピークスThe returnの最終話は、エンドレスの物語ということで衝撃的だったが、

本邦のライトノベルでは、マルチバースのループの実験を相当に繰り返していて、

その最たるものがエンドレスエイトだったとも言えるので、

不幸中の幸いとして、既に視聴者は自分を含めて《耐性》があり、衝撃からの立ち直りは早いのかもしれない。

・・・

ツインピークス世界は、予想に反して《三位一体》ではなかったが、

ハルヒ世界については、そうだろうと思っている。

ロジャー・ペンローズの「心の影」(↓)。
http://gitanez.up.seesaa.net/image/penrose.jpg

ペンローズの「皇帝の新しい心」(↓)。
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0004.html
松岡正剛、千夜千冊、同上)

>>>そしてそのころすでにグレゴリー・ベイトソンが、「われわれはまだ"生きているシステム"というものを一度も覗いたことがないのだから、自然と情報と人間のあいだの"関係"をこそ研究すべきではないのか」といった発言をしていたのを読んで、ぞくぞくしていた・・

精神的世界(心)とプラトン的世界(形式or概念)と物理的世界(モノ)との、「三者の相互参照」の関係。(作業仮説であるが)

そしてそのペンローズの三角形(↓)。


   プラトン的世界(形式or概念)
           ▲
物理的世界(モノ)     精神的世界(心)


・ 心があるから世界(モノ)がある。しかし、心が描くものが世界(モノ)ではない。

・ 形式があるから世界(モノ)がある。しかし、形式を作り出すものは心である。

・ 世界(モノ)があるから心がある。しかし、モノが即ち心なのではない。

三者の相互参照の繰り返しで、世界も心も形式も、それらへの理解が次第に深化する。

・・・

ペンローズの三角形をハルヒ世界に重ねると、

「ただの人間には興味ありません。宇宙人、未来人、超能力者がいたら、あたしのところに来なさい。以上」(byハルヒ

宇宙人と未来人と超能力者が出てくるが、

心、形式、モノの《三位一体》、つまり世界/実在を、

・ 宇宙人(=情報統合思念体)は、世界を形式で捉えようとする。同様に未来人(タイムトラベラー)はモノ(時空)で、超能力者は心で捉えようとする。

・ 宇宙人は、「形式→モノ」への転換に強い関心を持つ。未来人は、「モノ→心」の転換に関心を持つ。超能力者は、「心→形式」のそれに同様に関心を持つ。(足りないところに興味を持っている)

・ 宇宙人が、形式をモノ化するに際しては、「インターフェース」を必要とする。長門有希である。未来人が、モノを心化するに際しても同様で、それが朝比奈みくるである。超能力者が心を形式化するに際しても同様で、古泉一樹となる。(彼らはそれぞれの世界に所属しながら境界に立つ)

・ 未来人が「モノを心化する」というのは少し分かりにくいところだが、量子並行宇宙で時間を移動すると、双子のパラドックスが起こらずに、その替わり、情報≒記憶が再編されてしまうという具合。

・・・

そうした世界設定であろうと強く推測するが、有力な傍証としては、長門有希のアイテムが、ホフスタッターの「ゲーデルエッシャー・バッハ」(GEB)であり(↓)、その主題が、自己参照構造であり、その実体を表象するのが、数学・音楽・美術という見掛けの異なる三者になっているところである。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ゲーデルエッシャー、バッハ

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