sumiikasumiの日記

とりあえず始めたところです

墨烏賊墨の株式日記~突然現れた人面鳥は平和の象徴? 太陽信仰(≧∇≦)b

株式(金融・経済)とは関係がないけれど、平昌五輪の開会式繋がりのネタということで、

件(くだん)の《人面鳥》に言及しておきましょう。

個人的には怪異や妖怪が好きなので、人面鳥はなかなかイケてると思って観ていました(^-^ゞ

ただ、朝鮮神話ということでまず想起するのは《卵生神話》であるし、

人面鳥は全くの初見であったし(笑、高句麗の古墳の壁画といってもどこなのか当初は皆目見当がつかず、

数日、ネタを放置していましたが、

おそらくは高句麗の古墳群のこちら(↓)であろうと昨日来、漸くメドがついたので、

取り上げてみることにしました。

高句麗古墳群(↓)のうちの、

高句麗古墳群 - Wikipedia

(Wiki高句麗古墳群)


こちら(↓)の「徳興里古墳」(トックンニ古墳)であろうと。

徳興里古墳(とくこうりこふん)とは - コトバンク

(コトバンク、徳興里古墳)

ただし、描かれているのは人面鳥ではありません。《三足烏》(さんそくう)です(↓)。

三足烏 - Wikipedia

(Wiki、三足烏(さんそくう))

Wikiの説明の中段にある高句麗の壁画の写真の中央にいるのがそれ。

写真の向かって右手が鳳凰、左手が龍。

朝日の報道での写真でも、三足烏の隣に龍が確認できる(↓)。鳳凰は写(映)っていないけれど、実況では鳳凰も別個に登場していたと記憶します。

https://www.asahi.com/articles/ASL2971P5L29UTQP03N.html
(朝日、「突然現れた「人面鳥」に驚き、実は平和象徴、五輪開会式」、2018/02/10/12:49)

>> 人面鳥が登場したのは、選手が入場行進する前の、韓国の歴史と文化をアピールするアトラクションの一場面。報道各社に配られた開会式のガイドブックによると、人の顔をした鳥は高句麗時代(紀元前1世紀~7世紀)の壁画に描かれており、韓国の神話に出てくる不死鳥の元になったという。韓国で不死鳥は「平和な時代にしか現れない」とされていることもあり、「平和の祭典」をうたう五輪の開会式に起用されたと思われる。

平和の象徴と五輪ガイドブックやNHKや朝日の解説にあるが、平和の象徴なのかどうかは知りません(笑

確実に言えることは、三足烏は高句麗王朝の王族の「トーテム」(精神的なシンボルbyレヴィ=ストロース)であること。

不死鳥は鳳凰と重ねられるけれど、

壁画に準拠するなら、鳳凰は従であり、主は三足烏であり、人面鳥を不死鳥になぞらえることには疑問。


(喩えるなら、三尊形式で中心にあるのはあくまで釈迦如来であって、脇侍の菩薩は主役ではありません)

(五輪プロデューサーが誤解しているのか、宗教的に変遷しているのか、知りません)

(宗教的変遷であるなら、それはそれで興味深い。なぜ、どうのように変わったのかが関心事となるから)

(高句麗文化の影響を受けている飛鳥のキトラ古墳では、人面獣身ではなく、獣面人身。人面はそうした点でも不可解。)

さらに言えば、三足烏とは《金烏》(きんう)であり、金烏は《太陽神》であるとなります(↓)。

金烏 - Wikipedia

(Wiki、金烏(きんう))

>> 金烏(きんう)は、太陽に三本足の烏がいるという伝説であり、すなわちその烏(火烏)、ないし太陽の異称である。対称に蟾蜍(せんじょ)、または玉兎(ぎょくと)

(注記: 月には兎がいて、玉兔。日本神話ではなぜか地味な、月読系とみておきましょう)

>> 八咫烏は金烏伝説と少なからず関連しており、太陽にトリ(主にカラス)のモチーフは世界中で散見される伝説である。太陽信仰の象徴とされることもある。

(注記: 三足烏=金烏=八咫烏八咫烏と言えば、熊野三山賀茂神社など。因みに賀茂氏と接点のある徳川氏は賀茂神社の葵を家紋に採用しているが、三つ葉葵は三足鳥と重ねられているものと強く推測。また、徳川家、或いは天海上人がトーテムとしての太陽を意識していたことは、西の天照に対する東の東照であることから明らかと思われる)

・・・

http://news.livedoor.com/article/detail/14289984/
(ライブドア/中央日報、「日本の韓国植民支配を美化したNBC解説者が降板」、2018/012/11:52)

歴史には光と翳があるが、NBC解説者の発言は、一面としての事実の部類でしょう。

お気の毒(´・ω・`)

ということであるなら、

開会式のオープングセレモニーでの、人面鳥=三足鳥は、現代韓国が忌み嫌う(?) 我が国の太陽信仰でもあり、

王莽の乱(前漢の滅亡)、黄巾の乱八王の乱により軍事的均衡が崩れ去った時間帯を経ての、

極東アジアでの古代国家建設の黎明期の「旭日」に他ならない、というのがマイオピニオンとなります。

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