sumiikasumiの日記

とりあえず始めたところです

梟通信~文春に見るエイリアン:コヴェナントの謎 @文春オンライン

まったりと参りましょう、

文春と言えば、も~、次号の第二弾がどうなるか? が注目されるだろうし、自分も注目しているのだけれど、

全く意外にも公開直前の「エイリアン:コヴェナント」がしっかり取り上げられていて、

嬉しい(*´∇`*)

・・・

http://bunshun.jp/articles/-/3926?device=smartphone&page=4
(文春オンライン、「小島秀夫が観たエイリアン:コヴェナント~ユニバースの創造主は誰か?」、2017/09/10)

《コメント》
・ リブートの「プロメテウス」以降、シリーズ(4部作)のテーマは《創造主》なのだけれど、論者(小島氏)は、作品としてのエイリアンを造り上げたのは《誰》か?を問い直している。

・ それは監督のリドリー・スコットだろうと誰もが普通思うところだろうが(自分も) 、必ずしもそうとは言えないところが、作品の中でのストーリーの謎にとどまらない、作品自体の謎でもある。

・・・

・ 創造主の一人、強烈に個性的なデザイナーのH・R・ギーガーの、その造形のコンセプトは、第一作の脚本を担当したダン・オバノンに伝えられ、オバノンもまた、創造主の一人であるはずだが、実際の制作過程/現場では遠ざけられていた。

・ つまり、メイキング・オブ・エイリアン、に曖昧さがあり、論者(小島氏)は、「ユニバースの創造主は誰か?」(フランチャイズはどこにあるのか?) と問うているが、その答えは出てない。

・ 悩ましいのは、プロメテウスやコヴェナントを観ると/知ると、リドリー・スコット監督作品であるにも関わらず、第一作の創造主は誰か?となおさら考えてしまうところにある。(スコット監督が第一作を自己否定しているようにも見えるからである)

ダン・オバノン監督の「トータル・リコール」(1990)は、コミカルさは「バタリアン」(1985)に通じるが、シリアスさは「ブレード・ランナー」(1982)に通じている。共通項は、フィリップ・K・ディックであり、そのコンセプトは、「現実と虚構」の交錯である。

・ 公開が迫る「エイリアン・コヴェナント」では、H・R・ギーガーもダン・オバノンも他界して亡く、エイリアンの創造主は誰か?(フランチャイズはどこか?) が如実に現れる・・作品により作品自体の謎が解き明かされることになるのではないか? と楽しみに見ておきましょう。

ーーーーーーーーーーーー